【書評】見えている人も盲目である『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤 亜紗(著)

書評

四本足の椅子から一本取ると
転んでしまうけど、
元々三本足で立っている椅子もある。

筆者が着目しているのは
この「三本足のバランス」です。

目が見えている人が
目隠しをしても、
それは
目の見えない世界
を体験したことにはならない。

視覚情報無しで、
どのように世界を捉えているのか?
から始まって、
見えないことによる
身体の使い方の変化や
そもそも自由とは?不自由とは?
など、とても幅広いテーマを
扱った本なのだと感じました。

見えている人も
見えていない人も
自分の頭で作った
イメージの中を生きています。

人によって異なる
そのイメージの世界を、
健常者、障害者の垣根を超えて
「こっちの世界ではこうなってるけど
そっちはどう?」
と、面白がろうという筆者の姿勢は
とても共感できるものでした。

私も最初、
発達障害や強迫性障害を持つ元夫に
「そっちの世界はどうなってるの?」
という、好奇心の一種だと思えるような
強い興味を持っていました。

それによって、
自分がどのように世界を見ているかを
確認していた気さえします。

それでも段々と、
「ある程度の距離は必要」
という気持ちになってくるのですが、
(近寄りすぎた後に離れる、という感じ)

この本のスタンスは
「離れすぎた距離から
面白がれる距離へと歩み寄って行く」
という方向性だと思います。
「助けてあげよう、手伝ってあげよう」
という視点から、対等に感心を持つ関係へ。

そして、
他の人が見ている世界を知ることで
自分の見ている世界が
やわらかく変形するような
感覚を味わう。
それが筆者が目指しているという
「変身」なのでしょう。

また、たしかに
「健常者」と呼ばれる人が
果たして自分の身体を
使いこなしているのか?
乗りこなしているのか?
というのは、
自分も含めて甚だ疑問です。

本の中で
「見えない人は道から自由」
という表現が出てきますが、
「機能が多い
(この場合、視覚という機能がついている)
方が便利で自由」
とは限らないことを、
私は例えば携帯電話の普及と進歩を
連想して思いました。

私は方向音痴なので
今やスマホのマップ機能を
手放せませんが、
スマホが無い時代は
目的地にたどり着けなかったのか、
というと
そうではないです。

携帯が無い時代、
(なんか世代がバレますね)
待ち合わせをして
相手が来ないときに、
「どうしたのかなー
今日はもう会えないかな」
と待っている時間は
今よりも
相手の行動が「見えていない」、
「不便で不自由なこと」
といえるかもしれませんが、

「もしかして駅の裏側か?」
と閃いて会えたときの
やった!感は、
「パスタソースの味はくじ引き」
といって楽しむ視覚障害者の感覚に
近い物があるかもしれません。

どこまでいっても
自分は他人にはなれないですが、
自分の世界の変形、変身を楽しむために
せめて
やわらかくありたいなぁと
そういう気持ちになる本でした。

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