おそらくインフルエンザでうなされていた時に書いたショートショート(短い小説)です。
「雪」
43年ぶりという厳しい寒波は、こんな郊外の田舎町にも律儀に訪れ、昨夜から降り続いた雪が、物理的にも精神的にも外出を困難にしていた。
僕はこたつにハンテン、煎餅にコーヒーという「執筆スタイル」でひたすらキーボードを叩いた。
修士論文提出まであと2日、「結果」と「考察」なら短時間で書けると踏んだのだが、すでに計画は大幅に狂っていた。deleteボタンを連打して、ふと時計に目をやると深夜1時をまわっている。一歩進んで二歩下がる状態がひどく長く続いているように感じる。
窓ガラス越しに降りしきる雪が見えた。なにも歴史的な寒波でなくとも、この地方は豪雪地帯で知られる。大抵はサラリとしているが、なぜかバレンタイン前後になると急に水分を含んだ重い質感に変わり、それが3月の卒業シーズンまで続く。
「ここの雪はトクベツだ」と、地元の人がよく言うが、僕には理解できないでいた。
こたつでウトウトし始めたころ、急に玄関のチャイムが鳴った。どこか感覚が麻痺したままドアノブをまわすと、高校時代の友人が立っている。一目見て、あぁこれは夢だと、むしろ頭がシャッキリした。年期の入ったダウンコートを着た彼は、数年前、雪崩に遭って死んだのだ。
「ちょっと落とし物を見つけたんで」
どこか照れたような、気まずそうな笑顔を向けて
彼は握っていたくしゃくしゃの封筒を差し出した。
「大事な物だろうと思ってね」
僕はその封筒に見覚えは無かったが、
「ありがとう」
と受け取り、部屋に入るよう促した。
しかし、彼はまた気まずそうな表情で
「まぁ、察してくれよ」と笑った。
僕は彼の背中が見えなくなるまで見送り、
やけにひんやりした封筒を眺めた。
表には
「母さんへ」
と、僕の字で書かれている。
中の便箋は真っ白だった。
はっと部屋へ飛び込み、パソコンのメールボックスを開く。
修士論文の原稿、対する指導教員からのダメ出し、
一連のやりとりをひたすらスクロールして、
やっと数ヶ月前の
母からの最後のメールを見つけた。
返信欄に
「母さんへ」
とだけ書かれて放置されている。
「ここの雪はトクベツだ…」
マウスを持つ手に力がこもり、小刻みに震えた。
何度も消したボツ原稿。
送信されなかったメール。
言えなかった本当のこと。
伝えられることの無かった膨大な「言葉」は
一体どこへ、行ったのだろう?
僕は引き出しの奥からペンを取り出して
真っ白い便箋に続きを書き出した。
ーーー
母さんへ
この町に住んで
六年が経とうとしています。
毎年決まって降る雪は
すべてを白く、均一に染めます。
溶けるよりも速く、
重さをかさねていく雪が
この頃は特に増えました。
町の人は皆
複雑な顔で冬を迎えます。
除雪の算段を立てる一方で、
たくさんの雪像で賑わう
雪祭りを心待ちにしています。
スキーがずいぶん上達しました。
かまくらで呑む友人もできました。
雪は悩ましく、楽しく、
時には人を殺します。
そんな「雪」を、
この真っ白な世界を、
僕はとても、
美しいと思います。
ーーー
気が付くと雪はやんでいて
町中できらきら朝日を反射している。
僕は窓を開け、澄んだ空気を思いっきり吸い込んだ。
修士論文提出まで、あと1日。
(Franz BachingerによるPixabayからの画像)
コメント