どっちでも、良い。

なにもないな。静か。欲しいもの、ないわ。

しいて言うならツモリチサトの財布が欲しいわ。そろそろシマムラの1500円の財布一体型の鞄がくたびれてきたからな。財布にお札だけを入れるっていうのをやってみたくて、とりあえずカードと小銭を全部出して別にしたけどなかなかいいよ。諭吉さんも快適そうにしてるから。

もっと、美しいと思うものを集めたいと思ってるけど、一回夜逃げ並みに全部捨てて出てきたから、その瞬間に着てた服と持ってた鞄くらいしか、持ち物がなかったから、気に入ってたウサギのファーのついたコートも、野鳥の会のレインブーツも、親友から誕生日プレゼントでもらったピンクの鞄も、袖口の刺繍がきれいな真っ青なTシャツも、五万円くらいしたフォーマルドレスも、アクセサリーの数々も、ばーちゃんからもらった和風のカップアンドソーサーも、集めてた調理器具も、野田琺瑯の保存容器も、全部失くしたから、好きなものを好きでいることが、手元に持っていることが、怖くなったかと思ったけど、今こうやって書き出してみたら、そうでもなかったわ。

好きだったものは覚えてるからな。好きだったものは全部、お前のどこかに、空気感として残ってるよ。好きなものは持っててもいいし、持っていなくてもいい。借りられるようなものだったら時々レンタルしてもいい。

何かを自分のものだって思うこと自体、錯覚かもしれんから。昔の自分はアホ過ぎて恥ずかしいし、今のお前だって数年後から見たらアホ過ぎて恥ずかしいのかもしれんし、信じられるものなんか何もない。

物であっても人であってもそれは同じやろ。自分自身がこんなに揺らぐのに、なんで他人にしっかりして欲しいなんて言えるんや。完璧でないことを許して欲しいのに、他人には完璧でいてほしい。そんなおかしな話があるかよ。

のらりくらりと仕事をして、金曜日の夜にはフェリーにのって、早朝着いた大阪で実家に寄って、バナナと野菜ジュースをもらって、父に駅まで送ってもらって、京都に行って子供と過ごす。夜7時か8時か9時には子供が帰って、ひとりで都会の夜を歩くのも好きやし、四国に戻った月曜日の早朝に、バスから朝焼けを見るのも最高。

要するに、お前は今を気に入ってる。ずっとこれからも今を気に入っていけば、なんの問題もないし、永遠にお前は機嫌良くいられるよ。どっちでもいい。投げやりな感じではなく、どっちでも、良い。

だから特に、ツモリチサトの財布が欲しいってことくらいしか、考えることがない。

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