昔読んだ『鏡の法則』という本に、
許しがたいと思う他人の行動は、
だいたい「苦痛を避けたい」か、「快楽を得たいか」のどちらかである。
と書いてあった。
(表現はちょっと違うかもしれない)
そして人を許すには、
「あの人も自分と同じように、苦痛を避けたかったのだ」
「あの人も自分と同じように、快楽を得たかったのだ」
と認識することが大切であると。
大学生の頃だったと思う。
私はこの「鏡の法則」を読んで
書いてあるワークもすべてこなし、
母は自分と同じように、苦痛を避けたかったのだ。
とスッと腑に落ちる瞬間があった。
今思うと、それは出発点になった、というだけだったが
それから後に
母方の祖父が亡くなった時、
飼っていた猫が亡くなった時、
自分の子供が生まれた時、
離婚して子供と離れて私が(多分)死にそうな顔をしていた時、
悲しんでいる母、喜んでいる母、心配している母は
「苦痛を避ける人」ではなかった。
誰だっていつだってひとつの色で出来ているわけでもなく
今までだってずっと「苦痛を避けていない母」が
そばにいたのかもしれないが
私の方が
見えていなかったし、感じられていなかったのかもしれない。
とにかく、そのような
生き物が死んだり生まれたりという中で
私は自分が母親になりながら、初めて娘になれたような気もした。
(画像:Amazon.comより)
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